大本山總持寺 今月の伝道標語 1月

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昨年十一月には 御移転百年報恩法会(ごいてんひゃくねんほうおんほうえ) が厳修されました。今年は御本山が能登よりこの鶴見の地へ移ってから百一年目の第一歩を踏み出す年です。そういう意味で尚更に身の引き締まる思いがする新年を迎えました。

何と言っても、昨年の一番大きな出来事は東日本大震災です。千年に一度という大地震によって途方もない被害がもたらせられました。いまだに被災地の方々は復旧復興作業にご苦労を重ねておられます。そして、行方不明のままの方々もまだたくさんいらっしゃいます。こんな未曾有の大災害に遭遇した我が国日本でありますが、あの困難に際して、各地で他のために敢然と極めて厳しい状況に立ち向かった人びとが無数に多く現れました。我が身を顧みず他を救わんとして命を落とした方も数限りありません。





ある消防団員の方々は、迫り来る津波を防ごうと、防波堤の門を閉めにいって、殉職しました。防災センターで必死に住民に避難を呼びかけていた女性職員は、そのまま津波に襲われてしまいました。ある方は、寝たきりのおばあさんを背負って高台に避難させ、次のお年寄りを救助にいって、津波に巻き込まれて命を落としてしまいました。このような事態に遭わなければ、日々の喜怒哀楽に一喜一憂しながら普通の一生を送る事が出来たはずの人々です。

遺された私達は多くの事に気づかされ、多くの事を教えられました。ろうそくの芯は自らが燃えて、熱い思いをしながら光を放ちます。此の度の震災で、命がけで他の命を救おうとした方々の行為によって、日本国中の人々の心がどれだけ明るく照らされたことでしょうか。

今回の大震災では、本当に多くの尊い命が失われてしまいました。朝、いつものように「行ってきます。」と出掛けて行った夫や子供達、同じくいつものように「行ってらっしゃい。」と送り出してくれた妻や母親との、それが最後の別れの言葉となってしまった……。先の事は誰にも判らないとはいえ、これ以上の悲しみはありません。

私達は残念ながら、お亡くなりになった人ともう一度お話をしたり、お会いしたりする事はもはや叶いません。しかし、今を生きる私達は、お亡くなりになったあの人の事を、思い出す事が出来ます、感じる事が出来ます。今の自分を省みて「きっと亡きお母さんは褒めてくれるだろうなぁ。」、あるいは「こんな有り様では亡きお父さんは悲しむかもしれないなぁ。」と思い、それまでの生活を素直に反省し生き方を改めていく時、亡き父母は自分達の胸の中にしっかりと生き続けています。

表題の言葉は、瑩山禅師のお言葉です。お釈迦様の尊い教えが、絶えることなく、受け継がれてきた有様を示されております。

それは今日もちゃんと受け継がれているはずです。だからこそ、あの震災の危機的状況の中で、自分だけが救われることを望まず、まず他人をお救いしたいという、 自未得度先度他(じみとくどせんどた) の仏の行いが実践されたのです。

御開山 瑩山禅師様に伝えられた教えは、様々な困難な時代を乗り越え連綿と受け継がれ、鶴見の地での百年間を経て、新たな年を迎え、平成二十四年の現在にそのまま伝わっています。私達一人一人が尊い仏様の教えを守って生きてゆく事を心掛け、次の百年に向かって力強く一歩を踏み出しましょう。

平成24年1月 (青森県 善龍寺住職 清野暢邦
by seiryouzan | 2012-01-18 16:43 | 大本山總持寺今月の伝道標語

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