2012年 03月 11日
あれから1年・・・
3月8日現在、1万5854人の死者、3203人の行方不明者。35万人が仮設住宅での暮らしを余儀なくされています。一日も早い復興と安寧を心より祈るばかりです。
1年前の今日、娘達と私は横浜で被災し、帰宅困難者となりました。そぼ降る冷たい雨の中、大本山總持寺の駐車場に避難していると、恐怖で傘も持たず避難して来たという親子連れに出会い、声をかけて数時間余震の恐怖を共にしました。
總持寺のお坊さまの優しい対応に感動し、飲料水や食料を分けて頂いたことは生涯忘れらない体験になりました。
一か八かの選択で家路に戻る決断をしたのは、日にちが変わってすぐでした。東名高速道路通行止め解除の情報は私達にとっては朗報以外の何ものでもなかったからです。しかし東名高速由比が通行止めになり、暫く停車しては数m進むといった状態が午前3時頃まで続きました。その間停車したまま眠り込んでしまうドライバーで渋滞が渋滞をひき起こすといった感じでした。富士ICで降りてからも渋滞は果てしなく続き、やがてその場で留まったまま動かなくなりました。住職からの電話で一旦引き返し、別ルートを検討し、山間(やまあい)の、か細いでこぼこ道をひたすら走り続け、命からがら家路に辿り着いたのは昼になってからでした。
横浜市内は電車が止まり、徒歩で家路に帰る人々で溢れていました。仲間同士大きな声で歌を歌いながら歩く若い人。軒先に「ご自由にどうぞ!」と書かれたお盆にはポットと紙コップ、お菓子が綺麗に並べられていました。手旗信号で車両の通過を促す酒屋のご主人の姿も見ました。渋滞してもクラクションを鳴らす車両は一台も無く、譲り合いの光景ばかりでした。いざという時の助け合い精神は生きています。日本人の心は限りなく豊かで逞しく感じました。
この体験は私達の「学び」と捉え、東海大地震が発生した時、寺として何をすべきなのか?大きな課題となったことは言うまでもありません。学ばねばならないこと、変わらなければならないことを再認識しなければなりません。