2012年 04月 18日
大本山總持寺伝道標語 4月
今年の春のお彼岸の折、墓地を見渡しますと、色とりどりの花が墓前に飾られていました。その様子をながめていると、昨年の春の彼岸の様子を思い出しました。
昨年の春彼岸は、東日本大震災の影響により、お墓参りをする人がほとんどない状態でした。墓地の到る所で墓石が倒れていました。お墓に水をお供えしようと思っても、市内の水道はほとんど断水してしまいました。供物をお供えようと思っても、コンビニは閉店の張り紙、ほとんどのスーパーも開いていない状態でした。お墓参りをしたいと思っても出来ない状態でした。その上に放射能の不安があり出来る限り、遠くへ避難する事だけで必死な毎日でした。
お墓に花が飾ってあれば、「ああ、この人たちは元気で過ごしているのだ、安心した」とお墓の花が他の人々への元気で頑張っている「メッセージ」になるのではと思いました。近くの葬儀屋さんと花屋さんに相談に乗って頂き、100本程の墓花を本堂前に用意しました。その花は、葬儀の為に仕入れたものでしたが、当年はお花を用いて行う葬儀が出来る状態ではありませんでした。仕入れたお花が無駄になるのなら是非お墓参りに来た人々に役に立ってもらいたいとの願いからでした。「花をみんなの為に役立てたい」「どこのお墓にも花が添えられているのを見て、お墓参りをした多くの人に元気をとりもどしてもらいたい」という花屋さんや葬儀屋さんたちの思いが感じられました。人々の思いが集まって、前へ進む希望と、人のぬくもりを感じる春の彼岸のひとときでした。
「情けは人の為ならず」ということわざがありますが、これは、人に情けをかけるのは自立の妨げになりその人の為にならない、という間違った意味で理解している人もいるかもしれませんが、本当の意味は情けを人にかけておけば、巡り巡って自分に良い報いが来るという意味が本当の意味になります。「情けは人の為ならず」と同じような意味で「恩送り」という言葉があります。生きていくことは様々な人にお世話になりながら、生きていく事になります。お世話になった人にだけ恩を返していく事が「恩返し」ではあるのなら、「恩送り」とは誰かから受けた恩を自分は別の人に送る、そうして送られて人が別の人へ渡します。そうすることによって、恩が世の中にぐるぐると回っていく、まさに、「情けは人の為ならず」です。
自分だけがいいという考え方は、通用しなくなり、私達の生活は、皆に助けられて生かされているということを、震災後改めて、気付かされました。
修証義の四章に「利行は一法なり、普く自他を利するなり」と示されております。人の為に尽くすということは真実の世界の働きであり、助けるものも助けられるものも平等に救われていくのです。多くのお陰で生かされていることに気付くと、人の為に尽くそうとする真心が生まれます。人の為に尽くしていくことは、めぐり巡って自分自身への力へと繋がっていくものです。
一つ一つの小さな利行が、積み重なってきて、皆が少しずつ前に進むための原動力となっています。
平成24年4月 (福島県 龍門寺住職 光英覚法(みつふさかくほう))