陸前高田・龍泉寺の本堂流失

2011年05月31日火曜日 河北新報より
 東日本大震災の大津波が直撃した岩手県沿岸部では、地域住民の心をつないできた寺社も大きな困難に直面している。陸前高田市気仙町の龍泉寺は、本堂や庫裏が流失。山の斜面に広がる境内の墓地に、津波を免れた墓が残るだけとなった。避難生活を続ける住職江刺秀一さん(57)は、再建の道筋が見えない困惑を抱えながら、震災犠牲者の供養を続けている。
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位牌堂(左奥)がわずかに形をとどめるだけになった龍泉寺=陸前高田市気仙町

 陸前高田市の天然記念物で、推定樹齢が300年を超すヤマモミジがあった寺境内には、震災前の風情ある面影はもはやない。本堂の跡地は流れ着いたがれきの山。位牌(いはい)堂のみが寺の名残をとどめる。
 



寺の背後の斜面に並ぶ墓の一角に、江刺さんの携帯番号を記した掲示板が立ててあった。
 約300軒ある檀家(だんか)の9割が、地元の気仙町地区の住民だったが、大半が家屋を流された。
 「檀家(だんか)の過去帳なども全部流されてしまった。県内外に避難した檀家の多くとも連絡が取れていない」と、江刺さんは唇をかむ。
 江刺さん自身も、震災後は数カ所の避難所に身を寄せ、現在は大船渡市の寺の離れで寝泊まりしている。携帯に連絡が入る檀家の要望に合わせて供養に出向いたり、記憶を頼りに檀信徒名簿を作り直したりする毎日だ。
 本堂があった場所に、仮設でもいいから寺を建て直したいというのが願いだが、浸水した地域に建造物が再建できるかどうかは不透明だ。
 避難生活に追われる檀家にとっても、寺の今後について具体的に考える余裕がないのが現状だ。檀家の一人は「お寺がどうこうという話までは、まだ進めない」と打ち明ける。
 江刺さんは「檀家と寺の関係が、葬儀だけのものだったのか、心でつながっていたのか。そうしたことが問われている気がする」と話した。(松田博英)

by seiryouzan | 2011-06-01 08:06 | 東日本大震災、僧侶の関わり

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