2011年 08月 15日
曹洞宗大本山總持寺 8月伝道標語
百不当の一老
菩提心をおこし、仏道修行におもむく後よりは、難行を懇ろに行うとき、行うといえども百行に一当なし。しかあれども、或従知識、或従経巻して、ようやく当たることを得るなり。いまの一当は、むかしの百不当の力なり、百不当の一老なり
道元禅師 『正法眼蔵 説心説性の巻』
(仏道を求める心をおこして修行に取り組むのだが、一生懸命修行を続けても一向に真実の教えが腹に落ちない。だけども、有徳の僧の指示や教えを素直に行じていくうちに、やがて真実の道を得ることができるようになる。つまり、それまでの百の不承当があったからこそ、一つの老熟した承当がここに現れて来るのである)
「百不当」とは、例えて言えば弓で的を射ることです。弓で的を射ようとしても一向に当たりません。百回やって百回とも当たらないのです。しかし、その当たらない矢をあきらめずに何本も放って修練を積むうちに、その修練の力によってやがて当たるようになるのです。その的を打ち抜いた矢、つまり一当は、それまでの「百不当の力」であり、「百不当の一老」、「百不当の蓄積」であります。
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