<スティーブ・ジョブズ氏>伝記翻訳者が明かす日本とのエピソード 「アップル製品に禅の影響」

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米アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズ氏公認の伝記「スティーブ・ジョブズ」(ウォルター・アイザックソン著、講談社)が24日、発売された。同著のほか、「アップルを創った怪物 もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝」(ダイヤモンド社)などの翻訳者でもある井口耕二さんに、翻訳する中で印象に残ったジョブズ氏と日本とのかかわりや、家族のエピソードを中心に紹介してもらった。【まとめ・岡礼子】

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◇禅への傾倒ぶりはかなりのもの
 もともと、禅に傾倒したのは、60~70年代のアメリカ西海岸で東洋思想の流行があって、興味を持ったということのようだ。若気のいたりで「かじってみた」という人も多いと思うが、彼(ジョブズ氏)はかなりまじめにやった。永平寺(福井県)に行って、出家しようとまで考えたということは、今回(翻訳して)初めて知った。出家は、禅の師匠、知野弘文氏に止められたという。
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鈴木俊隆老師(すずき しゅんりゅうろうし 1905年5月18日 - 1971年12月4日)
昭和の曹洞宗の僧侶。アメリカに禅を広めた。
<<経歴>>
神奈川県平塚市の曹洞宗松岩寺の生まれ。12歳で静岡県森町の蔵雲院の玉潤祖温和尚に弟子入りする。駒澤大学在学中に蔵雲院住職となる。1930年駒澤大学卒業。永平寺、總持寺で修行。1936年静岡県焼津市林叟院住職。wikiより


1959年、55歳でアメリカに渡り、サンフランシスコの曹洞宗寺院桑港寺の住職となる。桑港寺は日系人向けの宗教活動を主にやっていたが、鈴木は日系人に限らず全てのアメリカ人対象に禅を広めようとし、1961年サンフランシスコ禅センターを設立する。1967年カルメル渓谷近くの山中のタサハラに禅マウンテンセンター(禅心寺)を設立。1969年禅センターは桑港寺より独立、公案を用いない只管打坐の曹洞禅のアメリカへの普及に貢献した。1971年12月癌で死去。死去の2週間前、法嗣(ほっす 後継者)にリチャード・ベーカーを任命した。

アメリカ仏教界へ与えた影響は大きく、1998年5月にはスタンフォード大学で、「鈴木俊隆学会」も開かれている。

"Zen Mind, Beginner's Mind "は45ヶ国語に翻訳されている(日本語訳は「禅へのいざない」)。



師匠は、知野氏(改名後、乙川氏)と鈴木俊隆氏の2人。鈴木氏は彼(ジョブズ氏)が住んでいた米カリフォルニア・ロスアルトス近郊で禅を教え、知野氏はサンフランシスコ禅センターで座禅の会をやっていたという。彼(ジョブズ氏)は結婚式も仏式で、お経を上げた。東洋思想のなかで、なぜ禅になったのかという経緯は分からないが、かなりの傾倒ぶりだ。禅の簡素で華美を排するところに引かれたらしい。それは彼の製品に表れていると思う。伝記にも「シンプルにしろ」という表現が出てくる。

 京都が好きで、家族旅行などで何度も通い、俵屋旅館に泊まっていた。ジョブズ家では、子供がティーンエイジャーになると、好きなところに旅行に連れて行く取り決めがあったらしく、長男も長女も「京都に行きたい」と言ったという。伝記には、長女が西芳寺(苔寺)を非常に気に入ったという話が出てくる。

 和食も好きだった。なぜかという話は、今回の伝記にもほかの本にも出てこないが、彼(ジョブズ氏)は魚が好きだった以外は、生涯、菜食主義を通した。かなりの偏食で、ニンジンやリンゴばかり食べ続けたかと思うと、それもやめて1週間の断食をしたりする。それが体に良いと信じていたふしもある。苦行の末に法悦の境地に達するらしく、「食べ物を消化しない分、体にエネルギーがみなぎるんだ」と言っている。晩年、がんに侵されてから、医者にたんぱく質を取るように言われたが、彼(ジョブズ氏)は食べなかった。

◇黒いハイネックは「制服」

 起業する前後、彼(ジョブズ氏)は長髪で何日も風呂に入らなかった。彼自身が「そんな若者に誰も投資したくないよ」と述懐するほど。会社のPRをしたり、投資家に会うため、周囲に「良いスーツを買え」「髪を切れ」と言われ、少しずつ外見が整えられて、マッキントッシュ発売(84年)のころには青年実業家然としていた。

 アップル(を1度追われて)復帰後、しばらくしてからは、黒のハイネックが定番になった。理由の一つは、もう(投資家向けに)服装を気にする必要がない地位に上りつめたこと。もう一つは、日本の影響といえる。彼(ジョブズ氏)は日本の工場に制服があるのを見て、アップルにも制服を導入しようとしたが、社内の猛反対にあった。それで、自分だけの制服にしようと決めたという。伝記には、ソニー創業者の盛田昭夫氏に「(日本の工場では)なぜ、制服を着ているのか」と尋ねるシーンがある。彼(ジョブズ氏)は整理整頓されたものが好きで、初期にあったアップルの自社工場も、とにかくきれいにしろと言ったらしい。制服も、そういった整頓された美しさを求めてのことではないか。

 ハイネックは、日本人デザイナーの三宅一生さんのブランドの製品だった。彼(ジョブズ氏)はもともと日本的なものが好きだったことと、三宅さんを気に入っていたことから、購入したらしい。大量にまとめ買いをしてあって、伝記の筆者のアイザックソン氏にクローゼットを開けて見せたという。
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◇子供たちとの時間、短かった

 伝記は仕事の話が中心で、子供と家族の話はあまり詳細ではない。彼(ジョブズ氏)は、この本を出す最大の理由として、「子供たちに、自分がどういう人生を生きて、何をしてきたかを知ってもらいたかった」と言っている。「この本がなければ、自分の死後、いろいろな人が自分について書き、その中には間違いもたくさんあるはずで、それはいやだ」と。子供たちに本当の話を知ってもらうためには、自分が協力しなければということで、3年間で50回のインタビューに応じた。何を書くか、彼(ジョブズ氏)は口出しせず、ゲラも読まないと言ったそうで、妻のローレン・パウエルさんも「良い面と悪い面がある人だから、両方きちんと書いてほしい」と言ったという。

 学生時代のガールフレンドとの間に生まれた娘リサを当時、認知しなかったことについても、「自分は違うと思った。あの時認めてあげなかったのはよくなかったかな」という反省の弁が、今回初めて出てきた。妻のローレン・パウエルさんと結婚後、リサと一緒に暮らしたことがあり、親子の関係が修復されていたからだと思う。

毎日新聞 10月24日(月)12時12分配信記事より転載
by seiryouzan | 2011-10-25 08:23 | その他