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光鏡院 境内の風景 お庫裡ブログ

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大本山總持寺 3月の伝道標語

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私が本山にお勤めしていた時、修行僧からある話を聞かされたことがありました。歳を召した男の方が、まだ修行を始めたばかりの修行僧たちが、必死になって長廊下を雑巾がけする姿を、じっと眺めていたそうです。その男性が修行僧に話かけました。「私は、御本山に来るのが好きなんです。御本山に来て、修行僧たちが無心に作務をしている姿を見ると、ほんとうに心が洗われてとても楽になるのです。」そして、実は重篤な病に冒されていて、命がいつまで持つかわからないことを涙ながら話してくれたそうです。修行僧は思わずもらい泣きをしてしまったそうですが、あとで思い返して見て、とても不思議に思ったそうです。「自分たちは、ただいつものように長廊下を雑巾がけしていただけなのに、どうして男性の心をとても楽にすることができたのだろうか。」





この修行僧の問いに、明確な答えは、ないのかもしれません。ただ言えることは、目の前のことに無心に取り組む姿に、人の苦しみを癒す力があったということです。

また、私自身も、本山に来ると心がとても落ち着くというお檀家さんの話を伺ったことがあります。そのお檀家さんは、ほんとうによく亡くなられた奥様のお墓参りに来られていました。お話をしてわかったことは、本山の放光堂が出身地の寺院の本堂を移築したものだということでした。そのこともあってか本山に来ると、いつも故郷に戻ったような気持ちになるのだそうです。そして毎日綺麗にしていただき修行僧たちに感謝しているとも話されていました。修行僧たちにとっては、知る由もないことですが、彼らのいつもの行いが、結果的に檀家さんに安らぎを与えていたのです。

3月は東日本大震災があった月です。先日私は、ある被災地を訪れました。地域の復興は進められているものの、同じ土地にはもう戻りたくないという方が多くいるそうです。当時受けた心の傷の深さが、どれほど深かったのかが想像できます。

震災をはじめ、この世には、さまざまな立場で苦しんでいる人々が大勢います。苦しんでいる人を救いたいと願うのは、慈悲のこころの現われです。私たちは、そのこころをどう表現したらよいのでしょうか。ボランティア、傾聴、看病、勤労、募金等様々な形で支援を行うは素晴らしことです。しかし、ほとんどの人には様々な制約があります。また実際に、したくても何ができるのかわからないのが実情ではないでしょうか。

標題の言葉は瑩山禅師が、「伝光録」で語られたお言葉です。「山や河を言葉で理解しようとしても、その本質が解るわけではない、心を無にして山や河の 相(すがた)をありのままに受け入れてこそ、その本質が解るのだ」と私は解釈します。私たちがほんとうに迷った時には、物事について、ああだこうだと理屈をこねているよりも、自分のこだわりを離れて、その本質の姿を改め捉え直してみる方が、かえって事がうまく運ぶことが多いような気がします。これからやりたいことを考えすぎて、何もできない日常を過ごすより、今やれる日常を精一杯生きてみることの方が実は大切なのかもしれません。瑩山禅師の時代から、本山で何百年もの間繰り返されてきた日常が、人々に希望をあたえ続けてきたように、今できる私たちの日常を精一杯生きること、これこそが、慈悲の心を表現する、もっとも身近な手段なのだと思います

平成26年3月 (茨城県龍心寺住職 花和浩明
by seiryouzan | 2014-03-19 20:56 | 大本山總持寺今月の伝道標語