カテゴリ:地震関連( 66 )

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 1日夜遅く、駿河湾を震源とする地震があり、静岡市駿河区などで震度5弱を観測した。この地震の影響で、静岡県内では10人がケガをした。
 1日午後11時58分頃、駿河湾を震源とする地震があり、静岡市駿河区と焼津市、東伊豆町で震度5弱を観測した。気象庁によると、震源地は駿河湾で震源の深さは20キロ、地震の規模を示すマグニチュードは6.1と推定されている。
 この地震の影響で、静岡県内では浜松市や藤枝市などで計10人が軽いケガをした。また、島田市では体育館の天井の一部が落下する被害が出た。
 「JR東海」によると、静岡県内の全ての線路で、一時、旅客と貨物の列車の運転を見合わせたという。東海道新幹線は、始発列車から静岡県内の一部の区間で徐行運転をするため、運行に遅れが出る見通し。日本テレビ系(NNN) 8月2日(火)6時55分配信


お盆疲れピーク時の爆睡中、ミシミシといったかと思ったら、いきなり横揺れグラグラが長く続きました。
「地震だ!!大きい!」すぐさま飛び起き、窓を開けました。
枕の横に持ち出し用非常袋を用意してあるのをしっかり忘れ、パジャマで階下に降りてしまった私。
リビングには、住職以外の家族が集結して地震速報を見ています!!報道では震度5弱・・・
東日本大震災も阪神大震災も2日前に大きな余震の記録があったとか・・・?
更にこれより大きな地震が今来てもおかしくない状態なんだそうで・・・ず~~ん↓
「東海沖大地震」「想定外」を念頭におかなくてはなりません。今からヘルメットを買いに走ります。
どうか皆様もこの一週間は気を抜かず、くれぐれも気を付けて下さいますように!

お盆合同法要と萬燈供養の記事は後日アップさせていただきますね。
by seiryouzan | 2011-08-02 08:54 | 地震関連

2011年7月11日午前9時9分ごろ
福島県で震度4の地震があった。気象庁によると、震源地は福島県浜通りで、震源の深さは約10キロ。地震の規模はマグニチュード(M)4・4と推定される。各地の震度は次の通り。震度4=いわき三和(福島)▽震度2=角田(宮城)小名浜(福島)など▽震度1=丸森(宮城)白鷹荒砥(山形)郡山、白河、富岡(福島)日立(茨城)など


2011年7月10日 17時39分  大震災以来初の津波観測 三陸沖でM7.3
東北地方で10日朝、震度4を観測する地震があり、東日本大震災後初めて、津波が観測された。
10日午前9時57分ごろ、東北地方で最大震度4の地震が発生し、沿岸部に一時、津波注意報が発令された。
宮城県や岩手県の一部では、避難指示や避難勧告が出され、岩手県の大船渡港や福島県の相馬港で、10cmの津波を観測した。
3月11日の大震災当日以来、初めての津波観測となった。
津波で流された岩手・陸前高田市の気仙大橋の仮設の橋が、10日に開通した。
式典の最中に津波注意報が発令され、視察に訪れていた民主党の岡田幹事長も避難するなど、慌ただしい開通になった。
住民は震災後、最大72kmにも及ぶ長距離迂回(うかい)路の通行を強いられていたが、仮設の橋が開通したことで、大幅に行き来が改善された。
岩手めんこいテレビ

by seiryouzan | 2011-07-11 10:54 | 地震関連

長野で震度5

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30日朝に長野県で発生した震度5強の地震で、重軽傷者は松本市内でこれまでに7人にのぼり、国宝の松本城にも被害があった。  県危機管理防災課などによると、松本市で70歳代の女性がベットから落ちて右足を骨折したほか、68歳の男性が落下物に当たりけがをした。  松本城では乾小天守の壁に小さなひびが見つかり、県教委でほかに被害がないか調査。松本市内では建物の外壁が一部壊れるなどの被害があった。

by seiryouzan | 2011-06-30 21:50 | 地震関連

子供達の心労を考える

SAVE IWATEよりレポート
SAVE IWATEの活動内容は多岐にわたっていますが、その一部として、成長途上にある子供達の精神面のサポートも含まれています。
感性豊かな小・中学生は特に、震災によって十人十色の、大小さまざまの傷を負いました。
それをどう受け入れるか、どう活かすか、個々人が暗中模索している様子です。

先日大槌町へ出向いたスタッフのレポートを以下に紹介いたします。
大槌町の子供たちの件。
震災当日、大槌北小学校では大槌高校に避難の際、町が津波に飲まれる様子を子供達に見せなかったそうです。
学校側の配慮だったそうですが、それが裏目にでてしまい、子供たちは瓦礫と化した町とのギャップを埋められていないようだと現地保護者から聞きました。
かなりパニックになったそうです。毎日通学バスで被災地通学する事で、現実を何度も再確認させれられる。
それがいやでたまらないそうです。

中学生も同じですが、現在中総体などで体を動かしている分気がまぎれてはいるようです。
バス通学、通勤の方全員に言えることですが、現実をみてあの日を思い出し、またそれ以降の3ヶ月を思い起こす、2重の苦しみがあるようでした。
中学生が良く集まっていた店もなくなってしまい、この先に希望を持てないそうです。
「バスで吉里吉里にまいにじつれでがれで勉強しろっていわれでも、もっとやるこどあるんでねぇがすか?」
「意味あんのがよ」と思ってしまい、勉強中もうわのそらだと。(中学生)

楽しみが何も無い。
個人的には我慢している彼らの気持ちを吐き出させてやることが一番元気に繋がると思います。
震災を経験してなお、現実を見つめること。将来について考え決断すること。大人でも難しいことです。
それでも彼らは見つめ、考えなければなりません。
私たちが彼らに助力できることがあるとすれば、それは何なのでしょうか?
内陸と沿岸での学力の格差、人間性の格差、思いやること、行動に移すこと。
さまざまなキーワードを思いつきます。改めて考えさせられるレポートでした。レポート:鈴木 文責:佐藤

by seiryouzan | 2011-06-28 14:39 | 地震関連

人口より猫が多い「猫の島」として知られる宮城県石巻市の田代島。東日本大震災の津波で甚大な被害を受けたが、
島民に大事にされてきた野良猫たちは地震や津波に負けず、たくましく生き延びていた。
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田代島は、作家・井上ひさしさんが「ひょっこりひょうたん島」のモデルにしたともされる島の一つ。かつては養蚕が盛んで、
猫はネズミよけとして飼われていた。やがて猫が自然繁殖を始めた後も「大漁を招く」として島民に大事にされ続け、
島の中心部には「猫神社」も建つ。島民によると、震災前と変わらず約80匹の猫が生き延びたとみられる。

海岸近くの自宅で野良猫に餌やりをしている畠山和子さん(72)は「地震の時は、私たちよりも逃げるのが早かったくらい」と当時を振り返る。
津波が引いてしばらくすると、山の方から猫が下りてくるのが見えた。「きっと猫神社の方へ逃げていたんでしょう」

心配なのは餌不足。島の仁戸田漁港で漁師の「おこぼれ」にあずかる猫が多かったが、漁港は津波で壊滅的被害を受け、
漁業再開のめどは立っていない。猫たちは今は各地から送られたキャットフードを食べているという。

船や車、カキの養殖設備などを津波で失った阿部頼男さん(73)は「猫に魚を食わせてやりたいが、自分の生活で精いっぱい。」
電気や水道も完全には回復しておらず、島に7軒ある民宿は休業中で、観光客受け入れも厳しい。
島の復興は猫たちの運命も左右しそうだ。【塚本恒】

毎日新聞 2011年5月27日 11時59分

by seiryouzan | 2011-06-20 08:43 | 地震関連

最終目的地の洞源院に到着したのは予定時刻より1時間も過ぎた3時頃でした。
山門脇の「ガンバロウ」と書かれた、のぼりが風にはためいています。
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小野崎ご住職さまにご挨拶して本堂にお参りさせていただきました。
ご本尊様と諸仏さま、被災された多くの御霊に合掌・・・

現在は80名余りの避難の方々がいらっしゃるとのことでした。
昼間は皆さんお家の片付けや仕事に出掛け、夕方戻って来られるそうです。
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ぐる~り見渡すと、色とりどりに丁寧に配色された塗り絵の観音さまがいっぱい貼られています。
避難所のお子さん達の塗り絵でしょうね。この観音さまのお顔・・・はて?どこかでお会いしたような気がします。
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その後、落語家の桂歌助さんとお弟子さん達を交え、ご住職様と奥様にお話を伺う機会をもちました。
お茶の用意をしてくださる奥様に「お気遣い無いようにしてくださいね」と言った瞬間、「何にも聞こえませ~ん。」
しばし話をするうちに感極まって泣き出した私に、すかさず「家は何でもあるんですよ!」と言いつつティッシュペーパーをホイッと渡して下さった。
間髪入れずボキャブラリーを交え、切り返してくださる奥様は暖かく大きな器を兼ね備えた日本のお母さんで、思った通りの方でした。
わたしひとり泣いたり、笑ったり、感動したりで、まぁ忙しい忙しい。

ご住職夫妻から重要見聞 その2
大地震が襲ってきた日、洞源院を目指し逃げて来られた総勢387名の人々の食事について、
普段から備蓄してあった玄米150kgを粥にして3日間を過ごしたという。
粥にすれば絶対量が増える、僧堂での方法や技でひとりでも多くの口に米が入るという訳ですね。流石です!
さらに、洞源院では大きな行事でも仕出しを一切使わず、みんなで煮炊きしていたことも功を奏したという。
「ふだんから沢山の人達とのコミュニュケーションが大切ですね」と、ご住職は屈託のない笑顔で話して下さいました。

奥様は、避難の方々の顔を毎朝必ず御覧になり、体調の些細な不具合を見つけておられるそうですね。
「一緒に生活していますからね。それくらい分かりますよ~」と簡単に仰る。
いやいや、なかなか出来ることではありませんよ。
全ての物を均等に配分できるよう、配慮することで共同生活が成り立つことなども教えていただいた。

その後、石巻湾を一望できる場所へと案内してくださった奥様が、
「こちらの山側の人は助かったんですよ。でもあちらに住んでいたいた檀家さんは逃げる場所が・・・」
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奥様の背中から、言いしれぬ悲しみや、ご苦労がかいま見えたような気がします。
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ー追記ー
避難者の皆さんが元気を取り戻すきっかけとなった
「洞源院共同生活の約束」が廊下に貼られていました。

洞源院の子供達は、大きな被害を目の当たりにしても、笑顔を絶やさず活き活きと生活していました。その笑顔を守りたいと、強く心に誓いながら宮城を後にする私達の背中を押してくださいました。
「387名もの人々が避難するなか、100枚のパンが届いたそうです。一人一枚づつでは足りません。一枚のパンを3等分すれば300切れになります。もっと分ければそれ以上になります。譲り合うことが出来たからこそ、生きてこられました。同じように子供達も我慢しています。約束を守ることは、生きていくことです。」
小さな声で、奥様がおっしゃいました。
この大地震によって今、私達に何ができるだろう。一人ひとりが力を合わせ、命を守り、つなげてゆく為に必要なことは何でしょうか。皆で考えてみませんか。そして、助け合いましょう。
「洞源院共同生活の約束」は避難所でなくとも大切なことが詰まった約束です。
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さてさて・・本堂に貼られていた塗り絵の観音さまですが、奥様にとてもよく似ていらっしゃいます。合掌・・・

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by seiryouzan | 2011-06-18 16:19 | 地震関連

被災地視察目的:
石巻市内被災寺院への見舞いと東海地震に備えるべき防災備蓄品や心構えを現地から学ぶ。

6/15 昼 道の駅「上品(じょうほん)の郷」で先達M氏と合流。
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走ること数分、後輩住職の寺院に到着。
震災より心配していた住職夫婦にやっと会うことが出来た。
お茶をいただき談笑のひと時を過ごせたが、やはり庫裡や会館にあっては地震の爪痕が酷く胸が痛む。
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北上川のほとりに位置するこの寺院にも当初津波の到来が予測され、
倒壊した山門で道を阻まれたご家族は近隣の人の車で緊急避難。
まさか雪のなか暗い車内で恐怖の一夜を過ごすことになろうとは誰が予想しただろうか。

住職夫妻から重要見聞その1
「地震には慣れていたはずだった。でもあの日の地震だけはいつもの地震とは確かに違っていた。こんな風に揺れたんだ。」と、グルグルと下に向けた掌を回すご住職。その掌の回転を見ただけで背筋が凍りつく。
震災直後は、近隣の主要橋が決壊したなどの誤報道や真実ではないデマが流れやすいようだ。

生活:普段から飲料水を確保。米は無洗米が良い。電気不使用の灯油ストーブを確保。
    幼い子供が水洗トイレしか使用したことが無く、慣れるまでが大変だった。
情報:ラジオなどの情報源の確保。
照明:ソーラーライトが真っ暗な道を照らすだけでホッとする。

後輩住職のお寺を後にさらに海岸沿岸部へ移動する。
進めば進むほどに被害増大の景色に息を呑む。
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家と家の間に津波に押し流されたであろう大きな船が無惨に残っていたり、
倒壊寸前の工場横には、はたして運転手は無事でいてくれただろうか?
タクシーの変わり果てた姿がそのままに・・・
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急遽、大津波の被害に見舞われた同宗寺院を訪問することに。
津波で江戸時代建立の山門が流され、倒壊した墓石の上に流れされた車が折り重なっていたが、現在はきれいに取り除かれた。
須彌壇とご本尊だけは被害に遭わず無事だったことが唯一の救いと話すご住職に会えた。
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地震当日ご住職は東京に出向いており、被災は免れたそうだ。
穏やかに見えるご住職の眼は、心労とこれからの見えない不安のなかにいるようだった。
     ↓外縁が濁流に流され、基礎がむきだしの本堂。
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何度もメディア等で見ていた風景のはずなのに、現地に赴き肌で感じなければ分からない現実だらけだ。
その場に合掌して祈ることしかできない我々は、人間の非力を確認しに訪れただけだったのだろうか。
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by seiryouzan | 2011-06-17 12:46 | 地震関連

船上で被災者慰霊法要 宮城 松島湾


宮城県松島町の松島湾で13日東北の四つの寺の住職や貫首が
宗派を超えて東日本大震災の慰霊法要を船上で営んだ。
参加したのは松島町-瑞巌寺 山形市山寺-立石寺 岩手県平泉町-中尊寺-毛越寺
いずれも開祖が同じ縁で毎年 ともに法要をしており今回は 震災の犠牲者を悼んだ

津波の被害が大きかった東松島市近くの沖で住職らが読経し
約100人の信者が水溶紙の観音札を 海に投げ入れて手を合わせた

瑞巌寺の千葉洋一総務課長は「法要が被災された方の心に安心をもたらし
被災地が前に進むきっかけになれば」と話した。

by seiryouzan | 2011-06-16 16:00 | 地震関連

悩み、涙そして前向く

朝のお勤め、集う避難者/洞源院住職・小野崎秀通さん(63)=石巻市
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午前5時。本堂に敷かれた布団は次々と畳まれ、にぎやかな声が外の庭で響き始めた。たき火を囲む人、犬と散歩する人、1日の予定を相談する人、のんびり日光浴を楽しむ人。ここが避難所であるのを忘れてしまう。
 洞源院は石巻市渡波の高台にある。西の浜沿いの街は見渡す限り、3月11日の大津波で家々が流出・全半壊した。
 6時。朝のお勤めを告げる鐘で100人近くが本堂に集い、住職の小野崎秀通さん(63)の読経が始まった。全員が唱和し、3歳、5歳の子の大きな声も。最後は東日本大震災犠牲者への慰霊の祈りに合掌し、「生きてる今 愛していこう」という御詠歌で終わった。  2011年06月08日水曜日

補足
御詠歌は、まごころに生きる(南こうせつさん作曲)

河北新報社記事へはこちらから       

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by seiryouzan | 2011-06-13 09:37 | 地震関連

 「なぜ、こんな状況に」-。東日本大震災で被災した高校生が避難所で不安やいら立ちを抱えながら暮らしている。住まい、勉強、就職…。将来を描くことが難しい。でも、協力し合う生活や支援する人の姿に励まされ、少しずつ前向きな気持ちも持ち始めている。宮城県石巻市内の避難所を訪ねて回った。 (教育報道部・西尾述志)
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中日新聞 高校生ウィークリー記事全文
寺院「洞源院」からの通学に困っているのは石巻北高3年の中里愛さん(17)。校舎が無事だった学校は別世界に感じられた。だが、通学路は地盤沈下し、毎日、満潮時には冠水する。登下校のどちらかが満潮に重なり、遅刻や早退せざるを得ない。

 学校で、避難所暮らしの生徒は多いとはいえない。「自分だけ授業から遅れていないか不安」と漏らす。地震と津波の体験、一転した生活から当初、頭に浮かぶのは「怖い」「ひどい」という言葉ばかりだった。

 でも、被災者が協力し合い、徐々に明るさが生まれた避難所の空気が自分を変えた。「苦しいのは自分だけじゃない。みんなで乗り越えたい」。町の復興に関わりたいと考え始めた。

 一時期、洞源院で暮らした石巻好文館高3年の阿部紘史さん(17)は「避難所が自分を成長させた」と振り返る。共同生活では、自分で考えて効率良く立ち回らないといけない。休み時間や通学など隙間の時間も勉強するようになった。
by seiryouzan | 2011-06-12 07:56 | 地震関連