カテゴリ:東日本大震災、僧侶の関わり( 58 )

津波で失われた本尊を造顕するため、遺族一人一人が木曾ヒノキに鑿(のみ)を入れた。岩手県大槌町の曹洞宗江岸寺で11日営まれた合同慰霊祭。プレハブの仮本堂で読経を続ける大萱生良寛住職(53)は「一つの区切りを迎えた。やっと再建に向けた一歩を踏み出せると感じた」と話す。

 震災で寺と家族を失った。それでも、弟(47)と葬儀、供養に走り続けてきた。

 「津波が来た」。昨年3月11日、愛知県の大学で宗教学を学び、帰省中だった長男の寛海さん=当時(19)=が裏山から駆け下りてきた。直後、住宅の間から押し寄せた真っ黒な津波に後ろから流され、濁流の中を何度も回転した。

 助け出され、運ばれた公民館に寛海さんと、父で住職の秀明さん=同(82)=の姿はなかった。昨年6月には次女、秀子さん=同(24)=を亡くしてもいる。

 「生きている意味はないという思いに、何度も襲われた1年だった。同時に、つらい現実から逃げ出さなくてよかったとの思いを抱き続けた1年でもあった」

江岸寺は戦国時代に創建され、岩手、宮城、福島の3県で震災により全壊した曹洞宗の45寺院の一つだ。信心深い漁師たちのよりどころであり、地域とのつながりも深い。大槌町の死亡・行方不明者約1300人のうち、半数の約650人が檀家だった。

 檀家の人々の「和尚さんに送ってもらいたい」という声に背中を押され、親類や近くの寺に数珠や仏具、法衣を借りて法要を続けた。震災から1年を迎えた今は犠牲者の一周忌法要で予定が終日埋まっている。

 気持ちに区切りがつかず、いまだに葬儀に踏み切れない人もいる。

 「さまざまな別れ方の中で、今回はあまりに急だった。納得していなければ未練を残す。焦ることはない。私自身、3人を失ったことで、送る気持ちは十分すぎるほど分かる」

 この日、慰霊祭の後には、北海道や秋田など全国から集まった曹洞宗の僧侶や近くの他宗派の僧侶ら約30人と大槌湾に向かった。

 津波が来たあの日と同じように小雪が舞っていた。鈴や太鼓を打ち鳴らし、町長を含め職員の4分の1近くが犠牲になった役場前を通った。役場を含め、寺から1キロ四方は廃虚と化したビルが点在するだけだ。

 「3月11日は特別な日。心に傷は残っている。でももう1年たったかと思うようにしたい。あっという間と思うようにしたい。まだ1年かとは思いたくない」

 がれきが積まれた海沿いの漁港を回り読経を続けた。午後2時46分、海に向かい黙祷をささげ、祈った。

「海が悪いわけではない。けれど、全てをのみ込んだ海を一人では見たいとは思わない。地元の人が釣りや海水浴をできるようになれば震災を乗り越えた、と言えるんだろうね」

 悲しみが消えることはない。だが、今は「大丈夫だ」と思える時間が徐々に長くなってきた。3人の笑顔の写真を真っすぐ見つめることができるようになってきた。町民を送るのが先と控えてきた3人の葬儀を5月に営むことも決めた。

 「本堂を建てられるのは何年後になるだろうか。ただ、再建する本堂は床をかさ上げし、津波に負けないようにしたい」と話し、こう続けた。「『生かされている』と自分を追いつめ、何かしなければと思う必要はない。そう考えているうちは平安は訪れないだろう。ただ生き残っただけ。今を大切に生きて、亡くなった人のことを忘れず、供養をしてあげればいい」(川畑仁志)
by seiryouzan | 2012-03-13 08:46 | 東日本大震災、僧侶の関わり

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3月5日、東日本大震災から1年を迎えるのを前に、仙台市「仙台サンプラザ」において慰霊法要、復興祈願法要を両大本山禅師猊下ご親修により修行いたします。
参加方法及び詳細については、曹洞宗東北管区教化センターまたは宮城県、福島県、岩手県のそれぞれの菩提寺にお問い合わせください。
なお、会場の収容人数には限りがあります。この法要は東日本大震災で被災した檀信徒の方を優先的にご案内しており、ご希望の方全てが入場できない場合がありますのでご了承ください。

東日本大震災 物故者一周忌慰霊法要並びに復興祈願法要
慰霊法要 大本山永平寺貫首 福山諦法禅師
復興祈願 大本山總持寺貫首 江川辰三禅師
会   場 仙台サンプラザ  宮城県仙台市宮城野区榴岡5-11-1
日   時 平成24年3月5日(月) 12時 開場 13時 法要 15時 終了予定
主   催 曹洞宗
お問合わせ先 曹洞宗東北管区教化センター 022-218-1381

2012年3月11日に全国の寺院での一周忌法要及び地震発生時刻の鐘撞きを呼びかけております。

下記に全文を掲載させて頂きます。
東日本大震災 一周忌追悼法要のお願い

平成二十三年三月十一日午後二時四十六分に発生した宮城県東方沖を震源とした地震とそれに続く大津波により、太平洋沿岸地域を中心に、平成二十四年一月三十一日現在、死者一五、八四五人、行方不明者三、三四〇人という大災害となりました。また、東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射性物質の飛散は、広範囲の地域を汚染し、安心して暮らせるためには、まだ長い年月を要すると思われます。
さて、厳しい寒さの中、東日本大震災発生から、まもなく一年を迎える時節となります。来る三月十一日、お亡くなりになられた多くの方々に対し、被災地のご寺院はもとより各ご宗派のご本山、全国のご寺院におきまして、一周忌の追悼法要と、地震発生時刻の午後二時四十六分に、梵鐘を撞いていただきたくお願いを申しあげます。被災された皆さまにおきましては、さぞかし大変な、苦悩の日々を過ごされてこられたと存じます。この法要が、ご遺族はもとより、深い悲しみの中にある全ての方の心に寄り添い、これから共に歩むべき道を照らすことを願っております。
震災の復興はようやく緒に就いたところであります。私たちは協働し、長い支援を志してまいります。どうぞ、皆さまの温かいお心とご協力を賜りますようお願い申しあげます。

平成二十四年二月一日
財団法人 全日本仏教会
会長 河 野 太 通

by seiryouzan | 2012-02-25 09:11 | 東日本大震災、僧侶の関わり

東日本大震災から9ヶ月が経とうとしている。東北在住でない読者は、福島第一原発の放射能への心配は続いているが、それ以外への関心は薄れているかもしれない。
私が住む山形市に隣接する仙台市では市街地はほぼ復旧した。しかし、宮城県のみならず、岩手県、福島県など津波で大きな被害を受けた海岸部は、いまだ復旧したとはとうてい言い難い。地元の新聞では、遺体確認情報がいまだ毎日のように掲載されている。

大震災を経た東北で今、見直されていることがある。死者をいかに弔い、供養するかという、日本人が伝統的に行ってきた葬儀のあり方である。
大震災では2万人近くの人が亡くなった。11月19日の報道によれば、宮城県気仙沼市内の仮の葬儀(土葬)地で、最後まで残っていた3人の遺体が、改葬(火葬)された。これで、これで県内で仮に土葬されていた遺体はなくなったという。多数の死者がでたために火葬が追いつかず、仮の土葬が行われていたのだ。
 土葬をめぐっては、できるだけ早く火葬を望む家族と行政の間で。軋轢が生じることもあり、日本でいかに火葬が一般化しているかが、思い知らされたものだ。
 被災地ではまた、津波によって、貴重な人命のみならず仏壇、位牌や墓、寺院までもなくし、震災の死者だけでなく、先祖の弔い、供養をいかに行ったらよいのかが問題となった。医療だけで遺族の心は支えられず、祈る心や宗教性をもったケアが必要だとの発言が盛んに行われた。
 東北地域で檀家の多い曹洞宗寺院では、仏画を張った厚紙を木製台座に立てる簡易型の仏壇を段信徒に配ったと伝えられる。仏面を印刷した名刺大のお守りカードも配られたという。「祈りたくても仏壇や位牌がない」という信者の願いにこたえようというのだ。
 ついこの間まで、葬儀に依存した日本仏教、役立たずの穀潰しのように批判されることがあった。しかしながら、震災を経て見えてきたものは、2万近くの死者と向き合い、葬儀や祈る心の重要性が再認識されてきたことであろう。
そもそも葬式仏教は、鎌倉仏教者の革命的な活動に由来する。それ以前においては、死体は穢れたものとして。河原や町外れに捨てられる存在であったのだ。というのも、死体は死穢(しえ)という穢(けが)れの発生源とされ、忌避(きひ)すべきものであったからである。僧侶たちは、葬送に従事することは原則的には禁じられていたのである。なぜなら、鎌倉仏教以前の僧侶たちは官僧(官僚僧)だったからである。
 官僧たちは、天下泰平・玉体安穏の祈祷すなわち鎮護国家の祈祷を第一とし、清僧であることを求められて、穢れ忌避を義務としていた。それゆえ、僧侶が、葬式に従事するのは、天皇・貴族の葬儀などの場合で、死にそうになった使用人などは、生きているうちに河原に捨てられるのが普通であった。

他方、官僧でない私僧(当時は遁世僧と呼ばれた)であった鎌倉仏教者たちは、穢れ逃避の制約から自由であったために、葬送に従事し、いわば死者の救済に努めた。これが葬式仏教の走りともいえる。

 現在の既成仏教は、こうした鎌倉仏教に由来するが、東日本大震災を経て祖師の穢れを乗り越える革命的な活動に思いを馳せ、真摯に葬儀に携わることを願いたい。そもそも葬儀は『死』を丁重に扱ってほしいという、人間の根源的な願いに応えているからだ。読売新聞(23.12.10夕刊)コラム ウイークエンド文化コラムより 松尾剛次教授(山形大)
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松尾 剛次(まつお・けんじ)プロフィール
山形大学都市・地域学研究所 所長 1954年(昭和29年)長崎県愛野町(現在の雲仙市)生まれ。1981年東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退、同年山形大学講師。85年助教授、94年に東大文学博士の学位を取得して98年に山大教授。この間、プリンストン大、ロンドン大、ニューヨーク州立大などで客員教授も務めた。専門は日本中世史、仏教史。07年から山大都市・地域学研究所所長を兼務。56歳。
by seiryouzan | 2011-12-12 15:25 | 東日本大震災、僧侶の関わり

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4日のイベント参加に向け、準備を進める小野崎住職(右)ら叢林舎の会員=1日、石巻市渡波の洞源院

東日本大震災で8月まで避難所となった石巻市内の寺で、避難生活を送った住民の有志108人と住職が、自立に向けた助け合いの組織「洞源院叢林(そうりん)舎」を結成した。仮設住宅に移った住民の相談に乗ったり、交流の場をつくったりしながら、孤立防止と生活再建への支援を行う。4日には近隣での音楽イベントに参加、被災を免れた地元産のノリなどを販売する。
 この寺は同市渡波の洞源院。震災後、近隣の約400人が身を寄せ、一緒に朝の読経を行うなどしながら、共同生活を送ってきた。
 叢林舎は、小野崎秀通住職(63)と避難者が先月7日、寺で避難所の解散式を行った際、有志の賛同で発足した。詳しくは河北新聞へ
6月に訪れた洞源院様の記事がありました。方丈様も奥様もお元気そうでなによりです。
大震災から半年が経過した今日、私達は悲しい出来事をそれほど口にしなくなりました。
ただ口にしなくなったということだけで、脳裏には深く々刻まれています。
思いは決して忘れてはいません。共に寄り添い歩んで行きましょう。

洞源院避難所の解散式
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8月7日、震災当初から石巻の人々を守り続けた洞源院の避難所・解散式が行われました。
大災害の中、「人のつながりと助け合いこそが人を救うことができる」 洞源院はそんな大切なことを教えてくれた避難所でした。続きはこちらから
本当に本当にお疲れ様でした。。大切なこと教えてくださり心からお礼申し上げます。合掌
by seiryouzan | 2011-09-12 21:20 | 東日本大震災、僧侶の関わり

若手僧が見た被災地

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被災地での活動を振り返る須山さん(左)と佐々木さん(益田市横田町で)
東日本大震災被災地でボランティア活動を続けている、若手僧侶の会「楽法会(ぎょうほうかい)」会員が10日午後7時、益田市高津の教西寺で活動報告会を開く。現地で得た経験を元に、求められている支援について考えを述べる。
 楽法会は、県内の浄土真宗本願寺派の若手僧侶で組織し、社会貢献活動に努めている。東日本大震災では、発生3日後の3月14日、会長の須山成顕さん(41)(益田市横田町、正法寺)ら4人が、飲料水と食料品を満載したワゴン車で仙台入り、物資を届けた。4、5、6月も2~6人の会員が南相馬市、気仙沼市などの被災地を巡り、避難所への物資を配送し、遺体安置所では読経。民家や農家でのがれき・ヘドロ撤去にも汗を流した。
 地元の人との対話、交流が、やりがいにつながった。15センチものヘドロの下から現れた畑の土を見て、安堵するイチゴ農家の笑顔に、「勇気づけられた」と、佐々木白文さん(31)(同市遠田町、進徳寺)は振り返る。
 今月28日にも第5陣が現地入りする。被災地の生活再建を見据え、粘り強く支えていく方針だ。須山さんは「身近に暮らしている我々の見聞を通じて、現地の苦労や頑張りを知ってもらいたい」と願う。また、「手伝いに出向きたくても、時間的余裕のない人がほとんど。皆さんの思いも現地へ届ける」と話している。
 参加無料。問い合わせは教西寺(0856・23・4375)(小川紀之)(2011年8月8日 読売新聞掲載)

by seiryouzan | 2011-08-10 08:35 | 東日本大震災、僧侶の関わり

2011年07月16日 21時00京都新聞より転載
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山鉾巡行の安全祈願と東日本大震災の犠牲者供養の護摩をたく山伏たち(16日午後3時20分、京都市中京区室町通三条上ル)
祇園祭の山鉾巡行を翌日に控えた16日、聖護院(京都市左京区)の山伏たちが修験道にゆかりのある七つの山を巡拝し、巡行の無事を祈願した。役行者(えんのぎょうじゃ)山(中京区)では東日本大震災の犠牲者を悼み、復興への願いも込めて護摩をたいた。

 山伏約30人がほら貝の音を高らかに響かせながら、浄妙、山伏、霰天神(あられてんじん)、南観音、北観音、八幡の各山を回り、役行者山に着いた。

 山伏であることを示す問答の後、読経をしながら護摩木を燃やした。この日までに町会所で市民が納めた約800本の護摩木のうち、震災の犠牲者供養と被災地の復興を祈願する護摩木が約250本あった。役行者山の林寿一理事長は「祭りができるありがたさをあらためて実感した」と巡行へ気を引き締めていた。

by seiryouzan | 2011-07-18 17:56 | 東日本大震災、僧侶の関わり

曹洞宗岩手県宗務所HP内ボランティアセンター活動日記より転載
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震災より4カ月となる7月11日。
岩手県曹洞宗青年会主催の追悼法要が県内4か所の御寺院、
久慈方面は東海寺、宮古方面は龍泉寺、釜石方面は江岸寺、陸前高田方面は普門寺に於いて営まれました。
猛暑日にも関わらず、多くの参列者が訪れました。
画像は、大槌江岸寺の様子です。
大槌地区では、被災後初となる合同法要でしたので、1000名を超える焼香者が訪れ、遠くは北海道からも40名を超える僧侶の方々のご随喜がありました。
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2011年07月13日(水)15時44分

by seiryouzan | 2011-07-14 12:05 | 東日本大震災、僧侶の関わり

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1500基の灯籠が参拝者を迎える厄よけ縁日「万灯祭」(中日新聞東海本社後援)の宵祭りが9日夜、袋井市豊沢の法多山尊永寺で始まった(斉藤直純撮影)。浴衣姿の家族連れなどが大勢訪れ、厄よけを願うとともに、東日本大震災の犠牲者を悼んでそっと手を合わせた。10日まで。

 午後6時に点灯された灯籠は、日が落ちると次第に存在感を増し、参拝者を温かく照らした。浜松市南区増楽町の主婦桑原明子さん(45)は「震災で亡くなった方の冥福を祈り、助かった人々を癒やしてほしいとお願いしました。みんなが元気になり、災いが降り掛かりませんように」と語った。

 1年で最も御利益があるとされる7月10日に参拝すると4万6000日分に値するとされ、午前8時半から法要が営まれる。灯籠がともされるのは午前6時~午後9時。中日新聞より

by seiryouzan | 2011-07-12 14:26 | 東日本大震災、僧侶の関わり